ゲスト 東中野修道(亜細亜大学法学部教授)
【南京大虐殺と反日プロパガンダ】
辛坊氏「・・・元NKHの川崎泰資さんです。
さっ、最初のテーマに行きたいと思いますが、今日のー、たかじんさん、最初のテーマは何すんねん?とね、ある報道の幹部と喋っておったらですね、『今日はこんな話』とゆうたら、その幹部が『まあー、辛坊さん、まあなんとチャレンジャーな話題を』と思わずゆうたぐらいのっ、大ネタっ!」
(VTR)
1937年12月、中国の南京を占領した旧日本軍が、多くの捕虜や民間人を殺害し、暴行・強姦・略奪・放火を繰り返したとされる南京大虐殺。
この事件に関しては、犠牲者の数やその存在そのものを巡って以前から様々な論争が繰り広げられてきました。
そんな中、1冊の本が出版され話題を呼んでいます。『南京事件"証拠写真"を検証する』」と題されたこの本の結論は、南京大虐殺が実際にあったことを裏付けるとされる写真のうち、「証拠として通用するものは1枚もなかった」
この本の著者である亜細亜大学教授の東中野修道氏は、アメリカでベストセラーになった「ザ・レイプ・オブ・ナンキン」をはじめ、大虐殺に触れた著作物を可能な限り収集し、そこに掲載されていた証拠写真とされるものを検証。
検証①
例えば・・「日本軍の行くところ、略奪されて鶏も犬もいなくなった」
と説明されているこの写真。
しかし実際は 「朝日版支那事変画報」の裏表紙であり、その説明には「民家で買い込んだ鶏を首にぶら下げて前進する兵士」とあり、この兵士が代価を支払って購入したことが記されています。
検証②
南京陥落時は真冬であったにも関わらず、証拠写真の多くはこの写真のように薄着であり、

影の角度を見てみると、明らかに初夏に撮られたと分かるものも。
検証③
また、この写真のように中国人による抗日意識高揚に用いられたことが既に判明している写真も現在もなお、
大虐殺の証拠写真として流布しているというのです。
現在、日本の歴史教科書に歴史的事実と記述されているこの南京大虐殺は、
もともと昭和23年、主要戦犯を審議する為に行われた極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判の過程の中で初めて持ち出され、
その際に被害者の数が20万人以上と認定されたのです。
ところが、中国・南京市にある南京大虐殺記念館の壁面には30万人が虐殺されたという文字が刻まれ、この30万人以上という数字が中国の統一見解になっているようです
また、中国メディアは、この南京大虐殺記念館をユネスコの「世界文化遺産」に登録申請すべきと主張。
アウシュビッツ強制収容所と、広島の原爆ドームはすでに登録されており、南京も世界の人々が歴史を学び、過ちを繰り返さないために大きな意義があると強調しています。
果たして私たちの歴史認識は正しいのか?間違っているのか?
日本の歴史教科書の記述にに間違いはないのか?
そして、メディアは真実を伝えているのか?
そこで、皆さんに質問です。
あなたは南京大虐殺はあったと思いますか?
バネル
西村氏「なかった。 20万人も人がいない!」
遙氏 「あった。 証拠が多い」
デーブ「あった。 聞くまでもない」
宮崎氏「なかった。 『南京事件』はあったが、『大虐殺』はない」
川崎氏「あった。 外電は伝えていた」
金氏 「なかった。 『大』でもなければ『虐殺』でもない」
三宅氏「なかった。 『民間人』を誤って処刑した程度」
ざこば「あった。 『大』ではないが」
たかじん「まぁ、人と人とが殺しあうのが当然戦争なんですがっ、なして色んな世界中の戦争のある中で、特にこの南京大虐殺というのは、えー、戦後こう、、、なんでこうクローズアップされて言われてるのは、なしてでしょうね?」
宮崎氏「あのー、70年代80年代ってのは中国は、あまり言わなかったんですね。ところがやっぱり江沢民政権になって、まぁ反日、あるいは愛国的な意識を高揚させるために盛んに言うようになったって側面は否めない。それに日本のある種の勢力が呼応しているという側面は否めないと思いますね。」
辛坊氏「多分ね、戦後ずっと話題になっるって言いますが、たかじんさんが学生の頃ね、教科書で習ってないはずですよ。私も実は習ってないんです。これ南京事件自体がね、教科書に載り始めたのは1980年前後なんですよ。だからそれまで日本では教科書にすら実は載ってなかったんで、我々の世代は学校では習ってないんです。」
西村氏「文化大革命の後でしょ?」
辛坊氏「そうですねぇ。だから日中国交回復の前後から、、」
たかじん「いきなり出てきたという、、とこの部分がね、、」
デーブ「日本でねっ。でも外国には当時から出てますけど、はい。」
辛坊氏「その辺がねぇ、なんで80年前後に出てきたのかという話も含めてね、ちょっと先ほどの本をお書きになった方、呼んでますんで、あった・なかったの論争はまぁゆっくり、その後にお願いするとして、まず本を書いた人の主張からちょっと聞いてみようと思いますので、えー、ゲストをお迎えいたします。えー、この『南京事件・証拠写真を検証する』という本をお書きになりました、東中野修道さんです。」
辛坊氏「80年前後に、まっ教科書に載り始めたって話してるんですけど、それまで日本でこの話が出てきてなかったのは何でなんですか?」
東中野氏「何ででしょうね?(何でなんでしょう?) いや知りません。」(会場笑い)
たかじん「そりゃつらいなぁ~、先生に言われたら~、、」
東中野氏「あの、あるものはですね、こうだという風に説明ができるわけです。ないものはね、何でだ言われても、説明の(苦笑)、、難しいんじゃないでしょうか。」
たかじん「なるほどね。」
西村氏「僕が子供の時聞きました。(南京に)行った方にね、そんなん出来るはずがないとゆうてましたよ、あっさり。」
デーブ「でも、その場にいた日本の兵士も『いや、あった』っていう何人も証言得られてるんじゃないですか?彼らは嘘つきなんですか?何のために嘘をつく、、」
たかじん「いや、なっ、戦争ですから、なっ、誰かお書きになってますけど、南京事件的なものは当然あったと思うんですが、それが大虐殺となると話がだいぶやっぱ変わって来ると思うよね。」
デーブ「大虐殺は何人からですか?例えば5万人以内は大虐殺じゃない、ただの虐殺? 」
西村氏「そりゃ中国人に聞かな分らんよ。」
デーブ「いやでもね、数じゃないんですよ(笑)。だから、何万人も10万人も同じじゃないですか。なんでそこに、、数字だけにこだわるかっていう事。数字の事を議論すればするほど、もしかしたらなかったという風にすり替えたいからでしょ?」
金氏「数字にこだわってるのは中国人であって、日本人じゃないの。数字に拘ってるのは中国人がドンドンドンドン増やしいって言ってるという、、」
デーブ「うん、中国は言いすぎだと思う、、今ね、30万人じゃないと思うけども、日本が5万人だったら、2万人だったら、じゃあ認めるんですか? それも認めたくないんでしょ?」
遥氏「それが、それが今、その南京問題のね、あの最前線になってる、、何人からが大虐殺やねんって言われてるとこだけどもぉ、、」
宮崎氏「だからね、例えば、ユダヤ人大虐殺って600万人と言われてますよねぇ、これはもう世界中が大半の人が認める大虐殺。これは英語ではジェノサイトですよねぇ、つまり民族を滅ぼすと。さっきの世界遺産の例を見てもわかるように、そのアウシュビッツと同列に置こうとしてる、南京の問題をね、南京事件を。それは違うっていうのは然るべき批判だと思うけどね。」
遙氏「元々、論争になったのは何でかって言うと、えーっと昭和46年か7年かな、えーっと、朝日新聞にシリーズで出た、中国への旅(
中国の旅)とか言う、(本多勝一!:宮崎) 本多勝一さんの書いたね、あのシリーズがきっかけで、『えっ?!日本はそんな事してたの?!』って、
あの段階から南京大虐殺って言葉がでてきてるわけですよねぇ。そっから論争が始まって、そっからですよ、人数の問題も、いや実はジェノサイトと似たケースなんだって問題も、いろんな論争が出てきてる、、」
三宅氏「数の事なんかはねぇ、その、遙さん、アンタ聞いたようなことを言うけどけどねぇ、(聞いたからゆうてたんですよ(笑):遥)
ねぇ、いわゆる戦闘行為をやったわけですよね、で、南京城をね、その松井石根を総隊長とする攻撃をする時でもねぇ、ビラを撒いてね、つまり『攻撃するから逃げるものは逃げろ』とかってやってるわけですよ。それから入ってるわけだ、ね。
その攻め始めてからねぇ、その要するに、その国民政府軍が、軍服を脱いで、ラーベというドイツ人が管理してたる国際安全区の中に逃げ込んだわけですよ、みんな、ね。だからそれは要するに便衣隊と言ってゲリラになるわけだ。民間服着て。だからそれを全部徹底的にやっぱりそれは洗い出すわけですよ。だって自分ら後ろからやられちゃ困るから。
その中でね、軍人じゃない者を処刑したのはあったかも分からないと、私も思いますよ。だけどね、意図的にね、30万人殺すなんて、考えてみなさいよ、もう全部死体だから。でねぇ、、」
デーブ「レイプの話はどうなんですか?三宅さん、レイプは? レイプは?それ、、」(話の途中で割って入り)
三宅氏「レイプの話してんじゃないっ
順番に聞けっ!
攻撃の話をしてるんです。
それでねぇ、そん時に松井石根という大将がだねぇ、2回に亘って、内外に記者会見してるんだけど、その会見の時に30万人殺したなんていう責任追及は一言も出てない。(もちろん:宮崎) 日本人の記者が出さないなら分かるよ、情報統制して。アメリカ人やいわゆる当時、敵性国家だった欧米のマスコミも質問してないんだよ。(じゃあ分かった:デーブ) だからなかったということでしょうが!!あれば必ず質問するでしょう!!」
デーブ「ちょっとそれ、30万どうのこうの、さて置いて、例えば236部隊とか、色んなあの、人物実験とか、色んな残酷な行為あったって事はありますよねぇ、。そんなのも一切ないわけですか?」
三宅氏「そんな話、、今、南京大虐殺の話をしてんだよっ!
」
デーブ「いや違う。それと関係してくるんですよ。」
三宅氏「関係してくるか!!
南京大虐殺があったかなかったかの話だ!」
宮崎氏「(デーブに)731部隊の事ですか?それ。今、236と仰ったけど。」
デーブ「あ、そうだ」(スタジオ失笑)
たかじん「あったという立場で、『外電で伝わってきた』と。てのはどういうことですか?」
川崎氏「あのねぇ、あのー、戦争というのは異常事態でね、日本国内でも報道管制が厳しいし、全く事実は伝わらないんですよー、戦争中。だから日本人で当時の事を知ってる人はいないんです、ほとんど。
でもその時に、日本人は知らないけれども、外電はきちっとですねぇ、つまり、世界中の人は南京でそういう虐殺事件があったという事を伝えてるから、外国の人はみんな知っているわけだ。ただその人数についてはね、正確なことについてはもちろん分かんない訳だし、
それは中国ってのは我々日本人は良く分かっているわけで、白髪三千丈って国でしょ、だからそれは人数については、そりゃあ考え直さないのは、当たり前なんですよ。だけど、なかったと言うのはね、これはやはりね、大問題ですよ、これは。」
辛坊氏「外電があったっていうのは・・・」
金氏「どこの外信が、どこにどういう風に伝えたんですか?」
川崎氏「・ ・ ・ ・ ・」(会場失笑)「外電が伝えて、ヨーロッパにもアメリカにも全部流れてます、ニュース。」
金氏「だから、どこの外信社が、どこの国でどういうような内容を伝えたのか?ハッキリ仰ってください。」
辛抱氏「そのあたりのお話を、、」
三宅氏「聞きましょう、ね。こういう暴説を聞いてても仕方がない。ちゃんとした話を聞こうじゃないか」
東中野氏「えっと、そのことについてですね、話をしに来たつもりはないんですが、シカゴデイリーニューズと、ニューヨークタイムズが南京陥落3日後、5日後に出しております。それで、南京の欧米人の目撃によれば、『頻発する殺人』だと書いておりますが、南京の欧米人が目撃した殺人事件ってのは1件もございません。」
辛坊氏「誰がどこで取材をして記事にしたもんなんですか?」
東中野「それはあの、シカゴデイリーニューズのスティール記者と、ニューヨークタイムズのバーディン記者です。(っていう人が二人共南京城内に入った?) 12月15日におりました。
ただまぁ、ちょっと話が拡散するといけませんが、南京というのはこういう風にですね、34kmの城壁で囲まれているわけです、城壁の高さは25mあります。で、2ヶ月間出られません。その中で、陥落直前の人口が20万。陥落10日後の人口も20万。人口減少と(減ってへんやん)言った人は一人もいない。」
辛坊氏「私ねぇ、先生の本読んだんですけど、陥落直前の20万てのは、国際機関が認定している数字です。で、10日後の20万てのはどこから出た数字ですか?」
東中野氏「10日後の20万は南京外国人会が出した数字です。それからクリスマスイブの日に、えー、ジョージ・フィッチがそう書いております。」
辛坊氏「逆に言うと西村さんの20万人も人がいないという事ではない? 20万人はいたという事ですね、つまり。全員殺せば20万人は殺せたという意味ですか?」
東中野氏「それはそうなりましょうね。人口はゼロになりますよ。ところが、1ヶ月後には人口は25万と。」
辛坊氏「それは誰が発表しているデータですか?」
東中野氏「それは日本軍の調査によりまして、南京の外国人がそういう風に出すわけです。」
デーブ「ちょっと先生、これ、もし本当に空想から生まれたものだったら、じゃあ何のきっかけで、こんなことになったんですか? その虐殺の、、」
東中野氏「これは、まだ完全な解明までには至っておりませんけれども、恐らく、まぁひとつの戦争プロパガンダとしてこれが始まったという解釈をですね、私自身は今ひとつの合理的な仮説として、、」
デーブ「当時は、当時の中国にそんな余裕あったんですか? そこまで、、」
東中野氏「いえいえありました。国民党宣伝部が一生懸命やってました。そのひとつがこの写真ですね。」
辛坊氏「その写真について多分ね、こん中で言うと、デーブさんがもし、もしですよ、仮説ですけども、もしこれで説得できないようだと多分ね、欧米のメディアは説得できないと思うんです。だから言えば、こん中でもうリトマス試験紙みたいなもんだと思いますんで(笑)」
デーブ「写真の検証ね、さっきの、凄く興味があるから聞きたいです、はい。」
辛坊氏「じゃあ、ひとつずつじゃあいきましょう、はい。これからお願いします。」

東中野氏「これはですねぇ、『日寇暴行実録』という国民政府の軍事委員会政治部が、支那事変一周年の時に出した、プロパガンダ、、(何年にこれは?) 1933年。(南京事件の翌年の夏に出た写真?) そういう事ですね。(はい、分かりました。)
それで、まぁ、農村地帯の女性が一群一群と連行されて、司令部で強姦されているとこういった、まぁ説明が付けられているわけです。
ところがですねぇ、これは実際にはあのー、元写真って物がありまして、『支那事変画報』でしたか、あっ、『朝日グラフ』ですね、失礼しました。(現在の朝日グラフの前身の写真?) そうなりましょうねぇ。
(これはいつ出た物ですか?) これは昭和12年の11月10日に、、(えー、という事は南京事件の前ですね) 前です。(前に撮られた写真と。これは歴史的にもう証拠としてあるわけですね?)
ええ証拠としてあるわけです。8ヵ月後に写真説明を改ざんして、、(これ、全く少なくても同じ写真である事は間違いない) 間違いないです。」
たかじん「それが1年前に撮られてるわけや。」

東中野氏「それで一番前の女性なんかは笑った、、笑顔ですね。ちょっと見難いですかね。これは三番目の男性は白い歯が見えておりますね。」
たかじん「単なる出歯とかゆう事じゃないですよね?」(会場笑い)
東中野氏「・・・要するに日本兵が護衛して、農村地帯の人を自宅に帰していると、こういう写真と理解されますね。

それからまだありまして、例えばこれはあのー、まぁ実に大きな写真なんですが、(現物ですねぇ) これ現物です。 これはなかなかない本なんですが、古本屋でたまたままぁ、見つけたものです(笑)(へーー)
で、これがまぁ、その『日寇暴行実録』なんかにですね、略奪の写真として、まぁ密かに転載されて、写真説明を、キャプションを改竄して出してきたわけです。(ちょっとよろしいですか?・・・)
それでまぁ、大変残念ですが、まぁ本多勝一さんなんかもこれを略奪の写真としてですね、使っているわけです。」
辛坊氏「これはー、昭和12年の12月29日だから、要するに南京侵攻の2ヶ月前の写真ですねぇ(はい) 『支那民家で買い込んだ鶏を首にぶら下げて前進する兵士』というキャプションがついてる、、(そうですね)」
たかじん「その虐殺してトリ盗って来た割りにはなんか物凄く爽快な顔してますよね。」(会場笑い)
東中野氏「だからそう、してないわけですから。」
宮崎氏「ちょっと待ってください、それ、朝日グラフですよねぇ? 朝日新聞社の。本多勝一はそれを知らなくて?、知ってて間違ったんですか?知らなくて間違ったんですか? わざと間違ったんですか?」
東中野氏「それは、私は本多さんじゃございませんので、本人にお尋ね頂きたいと思いますが、恐らくまぁ、取材の手順を省いたという事は(手抜き?:宮崎)考えられますねぇ。」
デーブ「ちょっとぶっちゃけた話、それ確かに気になる写真ですよ。ところが人を殺戮する時に、ちょっと待って、ポーズと言って写真は撮りませんし、殺される前に記念に撮って下さいと言う人もいないんですよ。
だからそういった本当に激しい場面があったら、そういった記録に残る方がむしろおかしいんじゃないですか?今、イラクみたいに誰もかれもビデオ持ってる時代じゃないので、かえって写真があった方がおかしいぐらいじゃないですか。これで全くないという事は果たして断言していいかどうか、、」
東中野氏「ですから今、写真をですね、ひとつひとつ検証してるわけです。そのことと、南京で虐殺があったかなかったかという話は別次元の話なんですね。別次元の問題としてまたこれは論ずべきなんです。
これは、あくまでもひとつの歴史の研究として、どうしてもこれは避けては通れない検証作業なんですね。で、今までそれが放置されていたという事でございますから。真を写して入るものだとばかり思ってですね、みんなうーんそうだと思って、、」
たかじん「先生はそうじゃなくて、写真は写真として、ちゃんと事実を分別してかなあかんと、、ってことですね、はいはいはい。」
遙氏「という事は、一枚残らずね、真実の写真がなかったという立場ですか?」
東中野氏「私共はですね、手に入る写真を全て手に入れました。そして、あったなかったという事とは別として、この写真は果たして真実なのかどうなのか、疑問点、矛盾点はないのか、それからこの一枚の写真はどこで初めて出てきたのか。初出?はどこなのか、どういう風に使われていったのかという事を全部綿密にまぁ押さえたわけです。
ですから一番最後の巻末にですね、こういった一覧表を載せておりますが、これは一枚の写真がどの雑誌に使われたのかという流れ図であります。
で、この結果ですね、私共が分かった事は、その1938年7月、南京陥落から8ヶ月後のこの支那事変・日中戦争1周年の年に、中国の国民党宣伝部が出版した戦争プロパガンダの本。この本に初めて写真が出てきたという事です。しかも今言いましたように、写真説明を改竄して載せていると。こういった事がですね、初めて明らかになってきたわけです。」
三宅氏「それは、どういう写真かちょっと説明してください。」
(後半につづく・・)
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