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2009年5月22日 (金)

<韓国特集> 「在日コリアンの100年」 その1 【痛快!おんな組】

朝日ニュースター【痛快!おんな組】<韓国特集> 「」のレポートです。

Photo_2 

(かなり長いし、画像も入れたいので5回に分けて書きます。

今回はゲストの姜徳相氏の生い立ち等の井戸端会議です。)

ゲスト:元一橋大学社会学部教授で現滋賀県立大学名誉教授で歴史学者の、
在日韓人歴史資料館館長の姜徳相(カン・ドクサン)氏

(関東大震災といえば姜徳相先生。二歳で渡日と紹介)

.

.

淑玉「姜先生・・・一世??でらしたんですね。」

姜徳相「いえ、一世ではなんいです。向こうで生まれたと言う点ではね、二世です。ただ二歳で来てるでしょ。ですからふるさとの山だとか川だとか友達だとかそういうの一切ないんです。(ただ生まれただけ!?)そうです。私は東京渋谷育ち。そういうことです。」

淑玉「私も渋谷生まれ!(笑)。そうすると出産の為だけに韓国に戻ったのではなくて、産まれてすぐこちらに来たと!?」

姜徳相「そうです。1932年生まれですから、34年の12月にこっちに来てるんです。」

永六輔「(自分も)33年。同世代」

淑玉歴史学者としてもたくさんの著書がありますが、姜先生は日本の戦前・・・在日としての、あっ自分は在日なんだと、認識したのはいつ頃の事なんですか?」

姜徳相「もう、私のうちはクズ屋ですから、・・・親方がいてね。うちの親父は親方なんですが、下に(??)がいてこれみんな同胞です。ですから周りの人と違うんです。クズの山がこうありますしね。隠しようがないですね。だからずっと最初から違うと認識は持っていたと思います。」

淑玉「お父さんとお母さんは日本語はどんな感じだったんですか?」

姜徳相お袋は、日本語は出来ません。もう死ぬまで朝鮮丸出しの日本語でした。親父はね、外へ出て色々やるでしょ。ですからもう全然朝鮮訛りがありません。これはなかなか立派なもんです。」

淑玉「先輩世代で、日本の大学の教授になられるって事は、在日にとっては、物凄いキラ星のようなもので、その時に勉強したり学ぶって事は、姜先生の世代ってのはもう本当に難しかったですよね。勉強好きだったんですか?(笑)」

姜徳相「特に歴史ってのは、やっても何も就職とかね結びつかない。ですから私が歴史を学んだっていうのは、子供の頃は歴史、大っ嫌いなんです。どうしてかっていうと必ず神武皇后・豊臣秀吉、日清戦争の樋口、・・・広瀬中佐ね(この辺の名前合ってますかね^^;)そんなものが出てきて、その下には必ず朝鮮があるわけです

だから加藤清正が虎退治っていうと、クラスのやつが皆見るんですよね。こう小さくなっていましたね。だから早く過ぎれば良いなって。で、あの頃の教科書、神武天皇のおじいさんだったか・・・雲の上に乗っているんです。先生に何で雲の上に落ちないんですかと聞きに行って物凄く怒られた。職員室へね(笑)。そういう事があって歴史は好きじゃなかった。

歴史をやるようになって、これ、いつから始まったのかなって事を調べてね、二年前ぐらいに、錦絵に出てくる朝鮮で、神武皇后から始まるんですね。加藤清正の虎退治。 幕末明治にこういう考えが完成したんだなと。そういうことを本に書きましたけどね。それはあの時の非常に嫌な思いってのがあって、集め出したらそういう傾向がきちっと出てくるもんでね、面白かったと思います。」

中山千夏「お年頃からすると戦争が終わった時が(13歳)13歳ですか。それまでの学校っていうものはもう本当に、本当に嫌な教育の、ね。」

姜徳相「遊んでも、腕力は強かったですよ。ケンカでは勝つんです。口も達者でしたからね。だけど最後に『朝鮮人野郎!』で終わりです。もう勝負あった。」

中山千夏「絶対的なカードなのねー。」

永六輔「同世代の日本人としてうかがうんですけど、学童疎開はどうなさってたんですか?」

姜徳相「私はね、自分で疎開したんです。東京空襲があったでしょ。三月十日。四月の空襲のすぐ後に宮城県に疎開しました。集団疎開じゃないです。縁故疎開。」

淑玉「集団疎開と縁故疎開の違いはなんですか?」

永六輔「集団疎開は文部省が立派な大人になって戦争に参加できるように、学校ごと」
中山千夏「クラスの友達全員が一緒に。」

姜徳相「それは、小学生、、、私は中学生でしたから。中学一年から二年にかけて」「動員もしました。軍事工場じゃなくてね、二年ですからね、田舎でやったのは開墾。畑を耕して。」

永六輔「僕らの近くの被差別部落と朝鮮の人達は学童疎開に参加出来なかった。」

朴慶南「えー、そこに区切りとか差別とかあったわけですか」
姜徳相「うん、あった」

淑玉「当時、周りには同じ在日の同胞はおりました!?」

姜徳相「はい、いました。女の子でしたけどね。私は二組であの子は四組なんですけどね。
で、金玉子(キムオッチャ)って言うんです。玉子(たまこ)さん。で、ガキどもが名前をね、キンタマキンタマってね。いじめるんですね。本名だったんです。その子はね。

私はね三年の時に創氏改名した。『神農』の名前に変わって、だけど日本名に変わったけど、下の方の『徳相(トクソウ)』はね、変わらないんですよ。だから神農 徳相(シンノウ・トクソウ)ってのはね、担任が変わったりね、課外の音楽の先生とかね分かんない先生来るでしょ。出席簿見ると、まず名前の変な異常さに気がついてオマエどっから来たんだと。」

朴慶南「神農はなんで!?」
中山千夏「中国の神様ですよね~」

姜徳相「神様の農ですね。姜氏はね元々族譜を見ますと、『神農しセイはキョウなり』というアレがあるんです。でそこから来たんです。で姜は大概、神農になるか、大山、神田。」

朴慶南「大体この苗字は、金なら金田とか、朴は新井とかね。なにか共通性があるんですよねぇ」

淑玉私は辛だからシンさんシンさんで、新山になるんですよねぇ(笑)」

ここまでが序章です。最初の「二歳で渡日」って聞き慣れない日本語でした。学童疎開と縁故疎開の違い、私も知りませんでした^^;

確かに昔は、酷い差別があったかも知れません。うちの親も結構言う方で、子供の頃はそれがすごい嫌でした。

私は、この在日の人の話に限らず、戦時中の話とか戦後の生活の話とか興味があります。当時の苦労は現代に生きる私たちには想像もできませんからね。

つづく・・・

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sun次の記事は「在日韓人歴史資料館」内の様子と解説です。戦時中・後の朝鮮人の生活。炭鉱事故の事、関東大震災の時の事件、創氏改名などのレポートです。

◆レギュラー出演者 (順不同、敬称略)
辛  淑玉(シン・スゴ)  人材育成コンサルタント
中山 千夏       作家
永  六輔       放送作家
朴  慶南(パク・キョンナム) エッセイスト
境分 万純(サコウ・マスミ)  ジャーナリスト
山根 春美         フラワー作家
         
◆ゲスト出演者        在日韓人歴史資料館館長 姜徳相
  

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コメント

たぶん、この時代より下になりますがまだまだ私の時代にも、おばあちゃん世代なんかは、アメリカ人でも差別してましたよね。してたというより、差別的発言が結構多かったというか。少しでも色が黒いだけで外国人だとおもわれたりとか。
過去は大変だったんでしょうけど、、、続きが気になります。ww

この辺までは普通の昔話なんです。
段々と、なんかウーーンって話になります。
在日の生活とか、在日と日本人の確執とか・・・
興味深いけど、おかしいと思うとこがたっくさんある^^;
私は知識がないので、皆さんに検証してもらおうと思って、文字に起こしました~
でも、こんな番組を放送するなんて、日本は自由ねぇ・・・

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